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広島高等裁判所 平成6年(ネ)354号 判決 1998年9月11日

控訴人

松本ツユ子

右訴訟代理人弁護士

坂本彰男

長尾俊明

被控訴人

宮島町

右代表者町長

梅林良定

右訴訟代理人弁護士

平川實

平川浩子

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は控訴人に対し、三〇〇〇万円及びこれに対する平成二年一〇月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  広島県佐伯郡大野町の大野町漁業協同組合(以下「大野町漁協」という。)は、同郡宮島町の多々良潟(別紙参考図1、2参照)に漁業権を有しており、控訴人は、大野町漁協の組合員として、大野町漁協から指定を受けて多々良潟の海浜約一〇〇〇平方メートル(別紙参考図3の赤斜線表示部分)にあさり貝の養殖を営む権利を付与されている(以下、右指定部分を「本件あさり貝養殖場」という。)。

2  被控訴人は、多々良潟の南(山)側に位置する町有地について、昭和五三年六月ころから同年九月ころにかけて護岸修復工事(以下「本件護岸修復工事」という。)を施工したが、これに伴い、次のような措置をとった。

(一) 南側の山間から多々良潟へ注ぐ河川の流出部は、もとは多々良潟の西側にあったのであるが、別紙参考図3表示のとおり、これを中央東寄りの本件あさり貝養殖場に近い場所に変更した。

(二) 多々良潟南側の町有地海岸寄りの所にはもと河川の川水が溜まって自然にできた遊水池があり、山間から流れ下った川水はいったんこの遊水池に流入し、溢れた分が海へ流れ出るようになっていた。そのため川水とともに流れ下った泥土は遊水池に沈澱し、海へ流れ込むようなことはなかった。このように、右遊水池は、海へ流れ込む川水の量を一定の限度で調節し、泥土が海へ流出するのを防止する機能を果たしていた。また、右遊水池から流れ出た川水は護岸の崩落箇所からいく筋もの流れとなって多々良潟へ流れ込むため川水が特定のあさり貝養殖場へ流れ込むことはなく、多々良潟のあさり貝養殖場においては、真水と海水が適度に混じり合ってあさり貝の養殖には良好な条件を作り出していた。ところが、被控訴人は、これを埋め立ててしまったのである。

(三) 多々良潟の中央部に新たに設けられた流出部(以下、これを「中央流出部」という。)から流出する川水は、別紙参考図3表示のとおり、本来は本件あさり貝養殖場より西側に位置する船倉明夫のあさり貝養殖場へ流入するはずのところ、被控訴人は、船倉の要望により、右参考図に青色で表示したように、中央流出部の出口に堰様の石積み(以下「本件石積み」という。)を設置し、中央流出部を出た川水の流れを本件あさり貝養殖場へ向かうようにした。

3  前項の措置がとられた結果、本件あさり貝養殖場には次のような被害が発生した。

(一) 本件護岸修復工事が完了して間もない昭和五三年一二月ころの降雨により、中央流出部から川水とともに大量の泥土が本件あさり貝養殖場へ流入して厚く堆積し、養殖中のあさり貝が全滅した。

(二) 控訴人は、右泥土や死貝を除去して真砂土を入れ、新たに稚貝を播いたが、その直後の昭和五四年四月の降雨による河川の増水に伴い、中央流出部からの流入が稚貝を沖へ運び去り、残った稚貝も泥土の流入により壊滅した。

(三) その後も、控訴人は、堆積したヘドロ様の泥土を除去し、稚貝を播くという作業を繰り返したが、降雨の都度、前記同様の被害が発生し、本件護岸修復工事以後、本件あさり貝養殖場でのあさり貝の養殖は困難な事態となった。

4  南側の山間から多々良潟へ注ぐ河川は、宮島町長が管理する公の営造物であるところ、本件あさり貝養殖場で発生した前項の被害は、右河川の設置又は管理に前記のような瑕疵があったために生じたものである。したがって、被控訴人は控訴人に対し、それによって被った損害を賠償すべきである。

5  控訴人は、本件あさり貝養殖場に生じた被害により次の損害を被った。

本件護岸修復工事が施工される前の昭和五三年当時、控訴人は広島北部青果株式会社(以下「広北青果」という。)に対し、少なくとも一日約五〇〇袋(五〇キログラム)のあさりのあけ身を年間を通して二〇〇日にわたって売り渡していたので、その年間取引数量は一〇万袋(一万キログラム)である。そのほか、控訴人は広北青果に対し、あさりのあけ身を小袋(一〇〇グラム入り)で年間約一〇〇〇万円相当分を売り渡していた。以上の売上高は年間九二〇万円であり、これから必要経費としてその二割を差し引くと、控訴人は、本件あさり貝養殖場でのあさり貝の養殖により年間七三六万円の収益を挙げていたことになるところ、本件あさり貝養殖場でのあさり貝の養殖が不可能となったことにより、昭和五四年以降、これを失った。その損害は昭和五四年から平成七年までの一七年間において一億二五一二万円に達している。

仮に、右損害が証拠不十分のため認められないときは、控訴人は、予備的に次のとおり主張する。

(一) 逸失利益

大野町であさり貝の養殖を営む業者の昭和五三年における年間平均漁獲高は六七万九一七〇円である。これから必要経費としてその二割を差し引くと、残高は五四万三三三六円であり、当時、控訴人は、本件あさり貝養殖場でのあさり貝の養殖により、少なくともこれと同額の収入を得ていた。ところが、これが不可能となったことにより、控訴人は、昭和五四年以降、これを失ったのであり、その損害は平成九年までの一九年間において一〇三二万三三八四円に達している。

(二) 慰謝料

あさり貝の養殖場は農業に例えれば田畑に等しいものである。控訴人は、永年にわたり精根込めて本件あさり貝養殖場を手入れし、一等級の養殖場に仕上げたのである。本件護岸修復工事後も、泥土を除去し、真砂土を入れるなどして整備に努めたが、流れくる大量の泥土にその除去作業が追い付かず、本件あさり貝養殖場でのあさり貝の養殖は困難となるに至ったものである。これによって被った控訴人の精神的苦痛は筆舌に尽くし難く、その慰謝料としては一〇〇〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用

本件訴訟の提起、遂行のための弁護士費用としては三〇〇万円が相当である。

以上の損害は合計二三三二万三三八四円である。

よって、控訴人は被控訴人に対し、前記損害一億二五一二万円のうち三〇〇〇万円(このうちには予備的主張の損害二三三二万三三八四円を含む。)及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成二年一〇月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は不知。

2  同2の冒頭の事実のうち、控訴人が本件護岸修復工事を施工したことは認める。多々良潟の護岸修復及び河川改修工事は、本件護岸修復工事を第一次として、昭和五四年度に第二次工事が、昭和五五年度に第三次工事がそれぞれ施工されているが、これらの工事が施工されるに至った経緯は次のとおりである。すなわち、多々良潟の護岸は昭和二〇年九月の台風で崩壊し、その後は、そのままの状態で放置されていた。被控訴人は、昭和五〇年八月、廃棄物焼却灰及び粗大廃棄物の処理場とする目的で、護岸の南(山)側の私有地八二五七平方メートルを買収した。しかし、護岸が崩壊したままの状態のため右土地への満潮時の海水の流入と河川の川水により、土地の浸食が激しく、多々良潟のあさり貝やかき貝の養殖場へ土砂が流出して堆積するため、養殖業者や漁業協同組合からの護岸修築の要望が強まった。そこで、被控訴人は大野町漁協と大野漁業協同組合の同意のもとに、工事を計画し、実施したものである。

同2の(一)の事実は否認する。山間から多々良潟へ流れ下る川水は大小合わせて四本あり、その川水はもともと中央流出部付近から海へ注いでいた。被控訴人は、昭和五四年度に施工した河川改修工事によって、四本のうち最も水量の多い河川の水路を変更してその流出口を中央流出部付近から多々良潟の西端に移し変えた。その結果、中央流出部から海へ流れ出る川水の量は従前の三分の一に減少した。以上の次第であって、もともと、中央流出部付近に河川の流出口がなかったという控訴人の主張は事実に反している。

同2の(二)の事実は否認する。多々良潟の護岸の南(内)側には被控訴人が前記の昭和五〇年八月に買収した土地のほか、昭和四五年に買収した三筆の土地があった。これらの土地は、昭和二〇年九月の台風以降本件護岸修復工事が施工されるまでは、前記のように、山間から流れ下る四本の河川の川水によって浸食され、また、中央流出部付近においては、満潮時には海水によっても浸食されるという状態にあったが、護岸の内側に水が常に滞留して池様になっていたということはなかった。被控訴人は、昭和五五年度に施工した工事の際、廃棄物等の処理場とするために控訴人が遊水池があったと称する部分の土地を埋め立てたが、これは公共の必要上やむを得ないことであり、控訴人もこれを受忍すべきものである。

同2の(三)の事実のうち、中央流出部付近に本件石積みがあることは認める。本件護岸修復工事が施工される以前においては、中央流出部付近を通過した川水は真北へではなく、北東方向へ流れ込んでいた。本件護岸修復工事により、その流れが真北へ向かうようになるので、その地先のあさり貝の養殖場であさり貝の養殖をしている船倉明夫は、工事の施工中、請負業者に対し、現地で、直接、流れの方向を工事施工前の状態に戻すよう要求し、本件石積みは業者がこれを入れて設置したものである。控訴人は、当時、このことを知りながら、何の苦情も申し立てず、その後も同様であった。そして、昭和五七年に至り、控訴人から中央流出部のところから東側の護岸沿いに水みちを設け、中央流出部を通過した川水がここを通って東方向へ流れるようにしてほしいとの要請があったので、被控訴人は、これを入れて幅約五〇センチメートル、深さ約五〇センチメートル、長さ約一五〇メートルの水みちを作った。この水みちは、土砂で埋まったり、海水に洗われたりするので、常にこれを一定の深さに保つために絶えざる保全管理が必要であるが、控訴人がこれを怠ったため土砂や海水で埋まってしまい、充分な機能を果たすには至らなかった。

3  同3の事実は否認する。通常、あさり貝の養殖場を良好な状態に保持するためには、泥土などが堆積すれば、速やかに、これを取り除いて真砂土を入れ、近くを川水が流れる場合には、その水みちが浅くなって川水が養殖場へ溢れ出ないようこれを一定の深さに保つなど、絶えざる保全管理が必要である。控訴人は、昭和五六年ころ夫であった勇吉と離婚するまでは、夫婦で右のような手入れを続けていたが、夫と離別してからはほとんど手入れをしなくなった。本件あさり貝養殖場でのあさり貝の養殖が不可能となったことが事実とすれば、その最大の原因は控訴人が本件あさり貝養殖場の保全管理を怠ったことにある。そのほか、近年においては、海水の汚染、気象条件の変化などのため多々良潟のあさり貝養殖場でのあさり貝の収穫量がだんだん減少していることは統計上明らかである。また、多々良潟の南側の山間では害虫による松枯れのため樹木が少なくなり、鉄砲水が出やすい状態となっている。この鉄砲水による養殖場の被害は自然現象によるものであって、やむを得ないことである。

4  同4の事実のうち、南側の山間から多々良潟へ流れ下る河川が宮島町長の管理する公の営造物であることは認めるが、その設置又は管理に瑕疵があることは否認する。本件護岸修復工事を含めて多々良潟の護岸等について一連の護岸修復及び河川改修工事を施工するに当たっては、被控訴人は、漁業権を有する大野町漁協と大野漁業協同組合に対し、その施工方法等について十分説明し、その同意のもとに実施したのである。そのほか、本件石積みが設けられた経緯、被控訴人が控訴人の要請を入れて水みちを作ったことなど、前記の事情からすれば、宮島町長の右河川の設置又は管理に瑕疵があるということはできない。

5  同5の事実は否認する。

控訴人主張の損害額は、広北青果との取引に関する帳簿類、伝票或いは所得税確定申告書控え等の確かな証拠によるものではなく、単に控訴人がそう述べているだけのことであり、これだけから損害額を認定するのは著しく経験則に反することである。控訴人は、夫であった勇吉と離婚した際、本件あさり貝養殖場であさり貝を養殖する権利を承継し、昭和五五年六月四日、大野町漁協への加入手続をして組合員となったのであるから、仮に、控訴人に損害が生じたとしても、それは右加入の日以降のことである。また、控訴人は、現在でも、本件あさり貝養殖場に稚貝を播いてあさり貝の養殖をしているのであり、その収益が皆無であるとはいえない。

控訴人の予備的主張における大野町でのあさり貝の養殖業者の年間平均漁獲高は、多々良潟における養殖業に関するものばかりではなく、他の養殖場での養殖業に関するものも含んでおり、統計数値として的確なものではない。したがって、これを基礎数値として控訴人の逸失利益を算定するのは当を得ないものである。

三  抗弁

仮に、控訴人主張の損害の一部が認められる余地があるとすれば、被控訴人は、抗弁として次のとおり主張する。

1  本件訴えの訴状は平成二年一〇月六日に被控訴人に送達されたところ、控訴人主張の損害(逸失利益)のうち、その三年前である昭和六二年一〇月六日以前に生じた分については、消滅時効が成立するので、これを援用する。

2  控訴人は、平成四年当時、他の水産業者のもとで稼働し、月平均九万三八六四円の収入を得ており、平成三年一二月から同九年一二月までの六年間の収入の合計は六七五万八二〇八円である。この収入は、控訴人が本件あさり貝養殖場での養殖作業をしないで、他の仕事に従事した結果得られたものであるから、控訴人の右損害と相殺されるべきものである。

3  本件あさり貝養殖場でのあさり貝の養殖が困難となったことが事実であるとしても、このことについては、控訴人にも、前記のような養殖場の保全管理を怠った過失があり、その程度は被控訴人の責任割合に対して優に五割を超えるものである。したがって、控訴人の損害のうち、被控訴人が支払の責を負うのはその五割以下の金額である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の主張は争う。控訴人は、本件の審理を通じて初めて本件石積みの設置について被控訴人に責任があることを知ったのである。したがって、消滅時効の期間はそのときから起算されるべきである。

2  同2の主張は争う。控訴人が他の仕事に就いて収入を得たのは平成三年一二月から同四年三月までであり、その間に得た収入は三七万五四五七円である。

3  同3の主張は争う。

五  再抗弁

昭和六三年ころ、当時の宮島町長であった有本某は、控訴人の代理人である鍵本昭に対し、被控訴人の責任を認め、控訴人に対する損害賠償債務を承認した。

六  再抗弁に対する認否

否認する。

第三  証拠

本件原審及び当審訴訟記録中の「書証目録」及び「証人等目録」に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  証拠(甲一、二の一ないし一六、三、乙一、二七、二九、三〇、四三ないし四五、原審及び当審における控訴人本人)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  多々良潟は、日本三景の一つ「安芸の宮島(厳島)」として知られる瀬戸内海に浮かぶ小島の北側にあり、大野瀬戸を挟んで対岸は本州・広島県佐伯郡大野町であり、宮島は全島が同郡宮島町となっている(別紙参考図1、2参照)。

2  多々良潟は、その北側が大野瀬戸に面し、潮がさせば隠れ、ひけば現れる遠浅の海であり、その南側は山間部であるが、海との間には平坦部があり、そこには民家も存在する。山間からはいく筋かの川が流れ下り、海へと注いでいる。

3  大野町には大野町漁協と大野漁業協同組合の二つがあり、両組合は多々良潟にあさり貝とかき貝の養殖を目的とする漁業権を有している。控訴人の元の夫・勇吉は、大野町漁協の組合員として、組合から多々良潟の海浜約一〇〇〇平方メートル(本件あさり貝養殖場)の指定を受け、昭和二八年ころから控訴人とともにここであさり貝の養殖を営んできた。その後、控訴人は、勇吉と離婚し、その際、財産分与の一つとして、本件あさり貝養殖場でのあさり貝の養殖を営む権利を承継し、昭和五五年六月四日、大野町漁協への加入手続をして組合員となった。

以上の事実によれば、控訴人は、昭和五五年六月四日以降、大野町漁協の組合員として、本件あさり貝養殖場について、大野町漁協が有する漁業権に基づきあさり貝の養殖を営む権利を有することは明らかである。

二  次に、多々良潟における護岸修復・河川改修工事の実施状況についてみるのに、証拠(乙三、六ないし八、九の一ないし四、一〇、一一、一二の一ないし五、一三ないし二〇、二一の一ないし五、二二の一ないし一一、二四、二五、二八の一ないし一五、三一の一、二、三二の一ないし五、三三の一ないし三、四〇の一ないし八、四一、四二、五二、五三の各一、二、原審証人末原義秋、同船倉明夫、当審証人茶村勝興、同眞木正夫、同坂田幸一、原審及び当審における控訴人本人)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  もともと、多々良潟には陸と海とを隔てる位置に、東西おおよそ三〇〇メートルにわたって、ほぼ直線状に、石垣様の護岸が築かれていたが、昭和二〇年九月の台風でその各所が崩落した。その後、右護岸については、全く修復工事が行われなかったため、護岸の内(南)側の土地では、満潮時に右崩落個所を超えて打ち寄せる海水と山間から流下する河川の川水に洗われて土砂が海へ流出し、一部に窪地ができてそこに常時水が溜まり、池様になった個所も出現した。この個所は、降雨による山間からの大量出水時などには、出水の一部をここに溜め、水とともに流下した土砂の一部を沈澱させて海への流出を防ぐなど、事実上の調節作用を果たしていた。

2  右護岸の内(南)側の土地はもとは私有地であったが、被控訴人は、不燃廃棄物等の処理場とする目的で、この土地のうち、昭和四五年六月に三筆の土地を、同五〇年八月に一筆の土地をそれぞれ買収し、その結果、右護岸の内(南)側の土地のうち、山間からの河川の川水の放水路となっている水路敷の部分(佐伯郡宮島町字厳島浦一二六〇番)を含めてその西側は全部が被控訴人の町有地となった。そうしたところ、被控訴人は、大野町漁協と大野漁業協同組合から、右土地からのあさり貝等の養殖場への土砂の流出が激しく、被害が生じているので、護岸の修復をしてほしい旨の要請を受け、多々良潟の全面的な護岸修復及び河川改修を計画し実施することとした。

3  右護岸修復及び河川改修計画は、現地を昭和二〇年九月の台風による被害前の状態に復元し整備することを主眼とするものであり、被控訴人は、工事の着工に先立ち、前記両漁協に対し、計画の全容を説明し、両漁協からその「同意書」を取りつけた。工事は昭和五三年度から同五五年度(第一次から第三次まで)の三年度にわたって実施されたのであるが、その後も、昭和五八年度に追加的な工事が施工されている。本件護岸修復工事は、その第一次計画に相当するものであり、工事によって海と陸との間に中央流出部から西へ向かっておおよそ一八〇メートル、そこから南へ向かっておおよそ一三〇メートル、中央流出部から東へ向かっておおよそ一〇〇メートル、全体としてL字形をした石積みの護岸が築かれた(別紙参考図3参照)。そして、前記池様の水溜まりは埋め立てられ、従来からあった山間の河川からの川水が海へ注ぐ水路が整備された。

4  工事の施工前においては、多々良潟には南側の山間部から大小四本の河川が流れ込んでおり、それが陸地の平坦部で一本になり、その川水は中央流出部付近から海へ注いでいたところ、昭和五四年度の第二次計画においては、右四本の河川のうち最も水量の多い一本の河川を平坦部にかかる手前でせき止め、その流れを前記の北から南へ向かって築かれた護岸の外側を通って海へ注ぐように変更した。その結果、護岸の内(南)側を経て海へ注ぐ川水の量は全体としては大幅に減少したが、水路の整備によって流れが一個所に集中したため、工事施工前よりも中央流出部から海へ注ぐ川水の量が右の割合で減少したというわけではない。特に、大量の降雨があったような場合、一時的に中央流出部から流出する川水の量が減少したといえるかは不確かである。

昭和五五年度の第三次計画においては、中央流出部から流れ出る川水の水路の西側部分の擁壁工事が行われ、河床には何個所かに土砂の流出を防止するための石積みの段差も設けられた。更に、工事は昭和五八年度にも施工され、右水路の南側、山寄りの部分が整備された。

5  ところで、工事の施工前、中央流出部付近を流れ出た川水は、出口付近の西側に土砂の堆積などができていたため真北にではなく、北東方向へ流れるようになっていたところ、流出口の真北にある養殖場であさり貝の養殖を営んでいる船倉明夫は、本件護岸修復工事の施工中、現地で、工事請負業者に対し、右の事実を挙げて中央流出部を出た川水が従前同様真北にではなく北東へ向かって流れるような措置をするよう要求し、業者は、これを入れて中央流出部の出口に本件石積み(別紙参考図3に青色で表示)を設置した。本件石積みは、石を低く積み上げたものであるが、これによって、川水は北東方向へ流れるようになり、被控訴人は、当時、この事実を知りはしたものの、船倉の申出にも一理ないことではないので、これを黙認した。一方、当時、右流れの方向にある本件あさり貝養殖場であさり貝の養殖を営んでいた控訴人の元の夫・勇吉からはこのことについて何の苦情の申立てもなかったところ、昭和五七年に至り、控訴人から、本件あさり貝養殖場への川水の流入を避けるため、東側の護岸沿いに川水の流れを東方向へ導くための水みちを作ってほしいとの要望があったので、被控訴人は、これを入れて幅約五〇センチメートル、深さ約五〇センチメートル、長さ約一五〇メートルの水みちを設置した。しかし、右水みちは、土砂で埋まったり、海水に洗われたりして、しばらく後には消えてしまい、その効用を果たすまでには至らなかった。

ところで、昭和五四年度の第二次計画において、山間から多々良潟へ注ぐ四本の河川のうち一本の河川の流れを変更し、その流出口が多々良潟の西端に設けられたところ、工事の施工後、その北側の養殖場であさり貝等の養殖を営む業者らは、右流出口を出た川水を養殖場を迂回する方向へ導くための水みちを設置し、これが土砂の堆積等によって浅くなれば掘り下げ、海水に洗われて狭くなれば広げるなどの保全管理をして川水が養殖場へ流れ込むのを防いでおり、これらの業者からは、被控訴人に対し、工事の施工後、何の苦情の申出も持ち込まれていない。

三  右認定の事実に基づいて、被控訴人が本件護岸修復工事に伴ってとった措置との関係で、宮島町長が管理する南側の山間から多々良潟へ流入する河川の設置又は管理に瑕疵が認められるかどうかについて検討するのに、控訴人は、まず、もともと、山間から多々良潟へ注ぐ河川の川水の流出口は多々良潟の西端にあったのに、本件護岸修復工事に伴い、これを中央流出部に移し変えたとし、この点の瑕疵を主張するが、この点に関する事実関係は前認定のとおりであり、控訴人の主張は実際とは異なる事実を前提とするものであって採用できない。

次に、控訴人は、本件護岸修復工事に伴い、被控訴人が控訴人のいう遊水池を埋め立てたことの瑕疵を主張するところ、前認定のとおり、右遊水池は、多々良潟の護岸が台風で崩落したあと、長期間そのままに放置されていたため、護岸の内(南)側の土地が海水や川水に浸食され、自然にできた水溜まりであって、本来、控訴人のいうような流水量等の調節作用を持たせるために作られた人工的な施設ではないのである。そうであるとすれば、仮に、右遊水池が事実上控訴人主張のような調節作用を果たしていたとしても、護岸の修復工事が行われる場合には、これが埋め立てられるのは極めて当然のことであり、この点について右河川の設置又は管理に瑕疵があるということはできない。

問題は、被控訴人が、中央流出部の出口付近に本件石積みが設置され、ここを出た川水が真北へではなく北東方向へ流れるようになっているのを知りながら、これを黙認しているところにあるところ、元来、水が高地から低地へ流れることは自然の摂理であり、前認定の事実によれば、多々良潟において、南側の山間からの河川の川水が多々良潟へ流入することは避けることのできないことである。そうであるとすれば、多々良潟のあさり貝等の養殖場を川水の流入から保護するためにはこれをどのように処理すべきかは、本来、ここの漁業権を有する漁業協同組合や右漁業権に基づいて養殖を営む組合員が取り組むべき課題であり、直接的には右河川の設置又は管理上の問題であるということはできない。現に、工事に伴い、多々良潟の西端に移し変えられた河川の川水の流出口付近の養殖場で養殖を営んでいる業者らは、川水の流れを他の方向へ導くための水みちを設置し、その幅員や深さを常に一定の規模に保つようその保全管理を怠らず、そうすることによって自らの養殖場を川水の流入から保護していることは前認定のとおりである。本件においては、前認定のとおり、工事の施工前において、中央流出部付近を出た川水が北東方向へ流れていたものとすれば、中央流出部の真北の養殖場であさり貝の養殖を営んでいる船倉明夫が右流れの方向を工事の施工前のそれと同じにするために本件石積みの設置を要求したのにもあながち理由がないわけではなく、仮に、これを撤去すれば、控訴人の養殖場への川水の流入は避けられても、船倉の養殖場が川水の流入の被害を受けることになるのであり、問題は本件石積みを撤去することによって解決することではないのである。そうであるとすれば、被控訴人が本件石積みの設置を黙認し、これを撤去しないことを目して、直ちに、宮島町長が管理する右河川の設置又は管理に瑕疵があるということはできない。

四  よって、控訴人の請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却すべきであり、これと結論を同じくする原判決はその限りにおいて正当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大塚一郎 裁判官笠原嘉人 裁判官金子順一)

別紙参考図1〜3<省略>

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